寒天のはじまり
ところてんは中国から製法を学び作り始めたものですが、寒天は日本のオリジナルです。
江戸時代、京都の旅館「美濃屋」の主人美濃屋太郎左衛門が、ところてんを
外に出しておいたところ、冬の寒さで凍り、自然乾燥の状態になりました。
これを見つけた太郎左衛門のひらめきによって寒天の製法が編み出され、
和菓子の原料として年々改良され発展してきました。
信州での生産 関西地方で発明された寒天は、信州の行商人小林粂左衛門の手で、
寒さが厳しく空気の乾いている諏訪地方の農家の副業として伝えられました。
角寒天という形態をつくり、気候風土を活かした地場産業として注目されてきました。
そして現在の寒天
角寒天、糸寒天という従来のものから粉寒天、固形寒天など
使用しやすい形状のものが主流になっています。
そして食品はもとより、工業用・医薬用・化粧品用・試薬用など
幅広い用途を持つようになりました。
アントベティ倶楽部でもいろいろな種類の寒天を販売しています。